広い意味で貧乏にはなりたくない

みなさん「貧乏」と聞くと一番に金銭的なことを思い浮かべませんか?実際にインターネットで調べると「金銭的に乏しく生活が苦しい状態」となっておりそれが正しい解釈だと思います。でも私は最近「貧乏」という言葉が人の精神状態や人間関係を表すときにとても当てはまる言葉に思えるんですよね。

私の経験から言うと自分が精神的に追い詰められているとき、不安という大きなものが心の大半を占めていて喜怒哀楽でいう喜や楽というポジティブな要素が乏しいときは心が貧乏だと感じました。また、人間関係でストレスを感じて人と距離を置いてみたときも、人間関係で得られるポジティブな要素まで得られなくなり人間関係が貧乏だと感じました。そういう状況というのは金銭的に乏しいのと同様に生活が苦しいと感じる瞬間だったのです。

精神状態も嬉しい楽しいだけじゃなく、たまに訪れる大切な人との別れによる寂しさや悲しさも捉え方によってその後の人生の考え方にポジティブな影響を与えてくれると思いますし、ストレスを感じる人間関係からも自分はどういう人との関係性で悩むのかという客観的な情報を得られ、どう対処すれば良いかを知る貴重な体験になります。そういう意味でも辛い体験やストレスを感じる人間関係も豊かに生きるには不可欠だと思うのです。

私は石川県能登地方に実家があり、2024年元日の能登半島地震で被害を被りました。当初は不安でいっぱいでしたが、今はこの経験をどう今後に活かすかは自分次第だと思えるようになりました。なんのストレスもなく嫌な人間関係も絶って穏やかな毎日が続くことが幸せと感じている人が多いかも知れませんが、私はずっと穏やかだけではそれはそれで貧乏なのではないかと思います。そういう意味で私は「広い意味で貧乏にはなりたくない」のです。

※体調を崩したり精神疾患と診断されている人の場合は当てはまらない場合があります

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広い意味で貧乏にはなりたくない” に対して2件のコメントがあります。

  1. 貧乏という言葉の捉え方について、とても深い考察だと思いました。金銭的な貧乏だけでなく、精神的な貧乏にも焦点を当てる視点は新鮮です。私も人間関係や精神状態が苦しいとき、心が貧しいと感じることがあります。しかし、辛い経験が今後の人生にポジティブな影響を与えるという考え方には共感しました。特にストレスを感じる人間関係から学ぶことは多いと思います。それでも、どうすればその経験を活かせるのか、具体的に教えていただけますか?また、能登半島地震の経験をどう今後に活かすかという部分にも興味があります。あなたならどう活かしますか?

    1. 人間関係の問題をいかに自分の判断の結果として捉えられるかが重要だと思っています。例えばトラブルがあって相手に裏切られたと感じたとして、裏切った相手のせいにしてしまったらそれはもう自分では一生解決できないものになってしまいます。逆に相手にはそんな一面があって自分がそれに気づいてなかったことが原因だと思えれば次に活かせるはずです。なので能登半島地震の経験もその後の自治体の対応やサポートに不満があったとしても、そこに集中するのではなく自分で何かできることにフォーカスを当てて行動することが大事だと思っています。

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