それぞれの幸せ

人によってどんなことに喜びを感じるかはそれぞれです。そして、人は自分が好きなものをバカにされたり揶揄されるととても傷つき時にはそれが怒りにまで達します。

アイドルの追っかけをしている人、全身ハイブランドに身を包んで闊歩している人、自分の部屋に閉じこもってゲームに没頭している人、その人がそれで幸せを感じるのであれば直接迷惑を被っていない限り、文句を言う筋合いはないのです。

なにかに没頭したりその存在のおかげで頑張れている人は、それがない時よりも生活の質が上がっていると言えます。最近は生活においてとにかくムダなものを省くミニマルな生き方が称賛されています。それによって生活の質が上がっていると感じる人はもちろんそれでいいと思います。しかし、一見ムダだと思われるものこそが我々人間にとっての生活の質を上げてくれる気がしてなりません。

例えばアート、絵というものは実用性という観点で言えば皆無ですが、ご飯を食べに行った時の個室の壁に素敵な絵が飾ってあるとお食事自体がより美味しく感じるという経験をした人もいると思います。それがなくても普通に生活する上で問題ないけれど、あるとちょっとだけ幸せを感じられるもの。

最近は推し活という言葉があるように特定の好きな芸能人やアイドルを応援する時に、人間の脳内では幸せを感じる物質が分泌されており、それが頑張るモチベーションにつながったりします。

私自身は昔からプロレスを観るのが趣味でしたが、常に「プロレスは八百長だろう」と、そんなものを真剣に観てとバカにされることが多々ありその度にイライラしていました。しかし、人間の脳内で起こっていることを理解してからは全く気にならなくなりました。好きなものを楽しんでいる時に脳内で分泌される幸せを感じる物質と同じような物質が、人をバカにしたりからかったりする時にも分泌されていることが分かっています。

SNSでは人の趣味をバカにしたりからかったりしている投稿をしばし目にしますが、好きなもので幸せを感じるか、人をバカにして優越感に浸るかどちらが良いのかは客観的に見れば火を見るより明らかなのです。

人それぞれの幸せを尊重し、お互いが楽しんで過ごせる社会になっていくと良いですね。

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